241010



今元気に働けているのは、いまあらゆる事を能動的に(逆能動的に)動けているのは、鬱ではないからなのか。

2020年頃鬱のような感覚があったのだけど、心療内科などの存在を知らなかったから、とても辛い思いだけをして、閉塞的で、欲望に対してパラノイア的で、Twitterが身体的だった。

その頃のことを思い出す。時々やる気が無くなる時、ふとこれは脳の問題なのかと怖くなる時がある。僕は僕の脳を乗っ取ることが出来ないなとわかる。能動態が崩れていく感覚は残る。けれどメタ的にこころ(精神)の問題ではなく、脳(身体)の問題だな、つまり抗えない部分の問題であるなあと処理していき笑えてくるから何となく元気になって忘れていく。

今はよく、とはいえ最後に残るのは自分の身体であり、人生なのだと思うことがある。

大体のことは仮固定で済ませられるように思う。システムや構造の問題(国家や社会が他者性における幻視のようななにか)であるから、自分の身体が解決する問題では無いなと思うから不安はなくなる。
だからこそ元気でいようと思うのだけど。僕が資本主義に負けるのはアイドルオタクであるときだけで良いから。(限りなくそう。それ以外はできるだけ、手を動かしていこうと思うように)

実際に鬱の診断を受けたわけじゃないから、やきもきするが、いつかまた完全に鬱だけになる日が来るのだろうかと不安になることがある。
鬱なのは私の問題では無い部分が多いと感覚的にわかるからこそ、戻れなくなる日が来るのかもしれないと不安になることがある。

明日もどうでもいいことに笑っていられるといい。

今日は部屋を片付けたし、買い出しも行けた。ジムにもこの後言ってあとは非美学を読み終わったら寝よう。明日から仕事だ。

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