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240731

今日で正社員になって働き初めて5ヶ月だ。 あっという間に日々は過ぎ去っていく。27くらいから日々が過ぎ去る速度に驚き続けている。 驚いている間に一日が終わる。 よく続いているなと思うけれど、あまりに性に合っているからこれでいいのだと思う。 この10年くらい、バイト3日行くだけで1週間大変な気持ちで生きてたりしたのにな。20歳の頃なんてスーパーのバイト4時間とかで疲れきったりしていたのに。 2年前の7月に熱田のイオンの駐車場で消防隊のイベントのための設営の仕事をしたことをいつも思い出す。 全てが絶望だったし、もう自分には何も無いのだと思っていた頃を思い出す。だからまだ大丈夫。 (よくツイートしてますが、半分ニート半分バイト正社員歴なしで今正社員やってるので、一念発起したい人を応援してるし困ったことあったらDMまでお願いします。) YouTubeを巡回していたら、千葉雅也と坂口恭平のトーク映像があった。 2人のバイタリティが強烈で元気が出た。 働く上で重要なのはメタ認知能力だと思うけど、この2人は更に構造とシステムをよく見ているなと驚く。だから強いし、坂口恭平は独立国家と個人間の経済圏を生み出せるわけなのだけど。 やっと『失われた時を求めて』の4巻を読み終わって、解説を流し見していたら、前半は旅への不安さによる読みの重さ、中盤からは旅の土地での習慣の生まれによる快活さがあるように書かれているとあり、読んでる時の感覚がまさにそれでプルースト小説書くの上手すぎるだろ、読むペースに時間の感覚を練り込むのやばすぎるだろ。。。となった。

240730

朝、健康診断。風のように終わる。ただただ看護師はいつも理不尽。 昼、図書館に行く。涼しくてよかった。 九鬼周造の『「いき」の構造』があったので読む。 2024年においては時代に合わない例えもあるけれど、その上での東京 を感じられて面白かった。和辻の『京の四季』を読んだ時に似た感覚があった。 日本語を言語哲学的に分析するのは、普段ギリシア哲学の延長にある哲学を読んでると新鮮に感じる。これを西洋哲学の場にいた九鬼周造が書いてるんだから尚更面白い。 「いき」をひとつの立方体として例えて、座標でここはいきであるとか無粋であるとかを示していくのも面白い。 おわりの文章を読みながら、これの延長に千葉雅也の『センスの哲学』があるなあとか思った。 帰りにイオンに行った。恐らくだけど2年ぶりくらいにイオンに入った。というか前回は熱田のイオンに行ってて、もしかするとこの10年くらいでイオンに入ったの2回目かもなーとか考えた。 一日中、ルセラフィムのドキュメンタリーが頭に残る。まあそんなもんだ。

240705

仕事の目標を立てた もう夏バテなのだと思う 気力がわかないところをむりくり頑張ってる 筋トレ四日目

240704

休日が、退屈にすぎていく 不在である 筋トレ3日目

240703

  自分のことは自分で決めていくしかない 自分の責任は自分でとる必要がある ************** 資本主義は欲望を満たすうちに直ぐに次の欲望を提案する ************** 筋トレ2日目

6月18日

『ドゥルーズと芸術』P.65 「芸術の使命を徴候学、力の把捉、イメージとして定義する。/医療芸術に対するニーチェ的徴候学/音楽に対する力の把捉としての芸術/知覚イメージと行動イメージの力の情動の力能と結びつける、作用、反作用としてのイメージ」 P.66「記号と同じくイメージもまた、速度から構成された アフェクトを可能にする力の関係であり、まさにそれによってドゥルーズは、記号論をイメージと記号の類型型として発展させることができた」 緩急や速度の変化とかいう言葉はよく使われるし、つまり”強度”(内包量)ということだろう。 ━━━━━━━━━━━━━━━ P.68 ニーチェと徴候学。 エクリチュールは力を発見するし、解釈をすることで力の関係に入り込み、それは生理学者や医師のやり方になっていく。 、、、 P.72 ドゥルーズはスピノザの方法を発展させる。外延的な諸部分を経度とし、内包的な本質を緯度とさせる。その方法によって個体を区別することができるようになる。 確かにスピノザの方法は外延的な様態には無限性が与えられており、それによって他者と私を区別することが出来るその上で私自身の存在性、此性があるとも認識が可能になるけど、ドゥルーズは更にそれを具体的にさせるわけだ。面白い。緯度は、本質はどれだけでも変化の可能性を持たされているし、 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 三章後半、ベルクソンのイメージ論を援用させながら、情動イメージの話へとはいる。イメージは強弱を生み出し、それはアフェクトの地図となり映画となる。 P.91「スピノザによる悪の理論である。/完全性や作用する力を高める関係を構成する時には「良い」とされ関係を分解するときには「悪い」とされる。批評的評価はこのようなアフェクトの地図を作成する」。なるほど映画をこのようなやり方で見ることが出来るのかと驚く。"良い"と思うこと即ち、コナトゥスが拡張されることを実感出来ることと"悪し"であることは同期はせず身体を切り替えることが出来る。それは映画になる。 記号化されていく場面と印象、イメージがスクリーンに映し出され、アフェクトの地図を作り出すというわけだ。ニーチェが力の把捉の話であったなら、更にドゥルーズは進んでイメージを映画と共に手に触れられるような経験性に落とし込むわけか。『シネマ』読めていない...

6月17日

もっと目的のないものが必要な気がしている。 ホユンジンと話すために勉強された韓国語も今はなんのためにあるのかわからない。あのときモネの話をした瞬間に1つ達成されたようにも思う。 もっと目的がないもの、意味自体で交換不可能なものが必要だろうか。